【企業研究】アジア開発キャピタル(9318)の歴史と将来について(1)
いつもお世話になっております。
富士政宗(S.Hiro)です。
アジア開発キャピタル(9318)の株価を保有しているということもあり
将来の展望について考察したいと思います。
※あくまで初心者トレーダーの個人的主観です。
アジア開発キャピタル株式会社の沿革
アジア開発キャピタルの沿革について
株価チャートを交えて考察していきたいと思います。
1952年6月 会社設立
アジア開発キャピタルは1952年6月(昭和27年6月)に
都筑紡績株式会社の子会社として「日本橋倉庫株式会社」という社名で設立されました。
その名の通り、倉庫業を生業としていたようです。
1961年6月(昭和36年6月)には東京繊維商品取引所(現在の東京商品取引所)の指定倉庫となります。
1963年7月 東証2部に上場
業務拡大により、上場を果たし
愛知、名古屋、埼玉、静岡、大阪に営業所を開設し
名古屋繊維取引所の指定倉庫となり更に業務拡大をしていきます。
1988年4月〜2003年 低迷期
業績が低迷したのか
1989年4月(平成元年4月)にリビング関連事業部というのを設置したり
1990年(平成2年)に不動産事業を始めたり、開設した大阪営業所を閉鎖します。
その後、1998年にリビング関連事業部は休止します。
こちらは30年分の年足チャートです。
ちょうど1990年〜1998年に株価が下落しています。
その後2004年に株価が一気に高騰しています。
ここで何があったのかは、後ほど記載いたします。
2003年10月 社名変更
ここで「日本橋倉庫株式会社」から「株式会社NDB」に社名変更し
2003年11月に通信事業を開始します。
2003年11月 親会社の業績不振
10期連続で赤字が続いていた親会社の都築紡績が会社更生法を適用しました。
またバブル崩壊の影響も受け、株式会社NDBも赤字が続いていたようです。
2004年5月 新事業の参入と2回目の社名変更
このとき、現:アジア開発キャピタル株式会社主力事業の
投資ビジネスへ参入します。
月足チャートを見てみましょう。
縦線が2004/06/30時点です。株価が急騰しています。
2002年12月時点の株価が@39円に対して
2005年8月時点では@2115円となっています。
その差は58.75倍です。
ここでキャピタルゲインを取得した人はすごいですよね・・・。
2002年12月に1,000株@36円=36,000円を買っておけば
2005年8月には1,000株@2115円=2,115,000円となります。
倉庫業を行っていた営業所の一部を売却し
軽貨物事業および、2003年に立ち上げた通信事業から撤退します。
そして「株式会社NDB」から「ジェイ・ブリッジ株式会社」に社名変更します。
そして波に乗っているジェイ・ブリッジ株式会社は
2005年3月に小杉産業株式会社(現:株式会社コスギ)と資本提携契約を締結します。
小杉産業株式会社というのは1883年に北海道函館市で織物卸業として創業し
1914年に東京進出、1943年に株式会社化、1985年に東証2部上場したアパレルメーカーです。
2005年6月 小杉産業株式会社の子会社化
小杉産業株式会社がジェイ・ブリッジ株式会社の傘下に入り子会社となります。
そこから色んな企業の吸収合併(M&A)を行い株価を上げていきます。
調べると1年のうちに12社買収し、5社が上場企業というので
当時の凄さが分かります。
しかし設立時からの親会社である都築紡績は2003年から業績不振が続きます。
2005年10月 倉庫事業の分社化
倉庫業を分社化し、子会社の株式会社ジェイ・ロジネットを新設
2006年1月 株価暴落
月足チャートです。
縦線は2006/1/31時点です。
2005年12月までは順調に来ていたジェイ・ブリッジですが
2006年1月から株価が暴落します。
このとき何があったのか、調べてみました。
2006年1月23日 ライブドア・ショック
記憶に残っている人もいると思いますが
2006年1月23日にライブドア事件により堀江貴文氏含む関係者が一斉逮捕されました。
ライブドア事件とは、粉飾決算および証券取引法違反でライブドア関係役員が起訴された事件です。
本事件により、ライブドアと関係のある企業株価は暴落していきます。
しかしながら、ジェイ・ブリッジはライブドアとは何の関係もありません。
どういう因果関係でジェイ・ブリッジの株価が下落したのか。
当時の記事を探しても、正確な理由は分かりませんでしたが、いくつか説があるのでご紹介します。
- 当時ライブドアがM&Aを積極的に行っていたため、同じくM&Aを積極的に行っていたジェイ・ブリッジも道連れで下落した。
- ライブドアとジェイ・ブリッジで「イブ」が同様につき名前に類似性があることで道連れで下落した。
当時のニュースではライブドアの報道と、それにつながる村上ファンドのインサイダー疑惑も報道されていました。一連の事件によるM&Aに対する風評被害に合ったのではないかという説です。
次に「イブ」がつく社名だったという説。
こちらは実際に研究している資料を発見しました。
「イブ」の他に「ライ」という名前のつく社名も株価が暴落していたようです。
こんなことで株価が暴落するなんて、何が起こるか分かりませんね・・・。
このライブドア・ショック以降もジェイ・ブリッジに更なる追い打ちがかかります。
2007年5月 子会社の売却
子会社である株式会社ジェイ・ロジネットの全株式を株式会社ガルフネットに譲渡します。
この頃から子会社である小杉産業の業績が悪化していきます。
2008年 サブプライムショック
アメリカのサブプライムローン問題により日経平均株価も影響を受けます。
2009年2月 リーマンショック
この影響により子会社の小杉産業が業績不振に陥り、破産申請します。
ここで月足チャートを見てみましょう
ライブドア・ショックが起きるまで2000円の高値を叩き出していた株価が
2009年3月時点で7円まで下落していきました。
2010年10月 3回目の社名変更
「ジェイ・ブリッジ株式会社」から
「アジア・アライアンス・ホールディングス株式会社」に社名変更します。
そしてその社名の通り、中国、フィリピン等のアジア各国の投資をしていきます。
2012年に中国の総合病院を経営している会社に出資し
2015年には持株を売って7.3億円のキャピタルゲインを取得
2015年にフィリピン証券取引所上場企業の29.85%の持ち分を取得し
土地開発、土地分譲を行ったりしています。
2015年10月 4回目の社名変更
「アジア・アライアンス・ホールディングス株式会社」から
「アジア開発キャピタル株式会社」に社名変更します。
事業としては投資事業がメインとなります。
2018年3月には「バイオマス燃料供給事業」を開始します。
2013年から直近までの月足チャートです。
ところどころ株価が上昇していますが
おおよそ株価@10円らへんをうろちょろしています。
現在のアジア開発キャピタル
アジア開発キャピタルは2020年12月に新体制となっています。
次回は新体制についてと、これからどうなっているのか考察していきたいと思います。
ここまで拝読いただきありがとうございました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。